この2018年で30周年ってことだったんですよ。
なので一回くらい見直しておこうかと思った。
冒頭の戦いからアムロはギュネイを片手間でも撃墜しそう。
ギュネイは強化人間(自称はニュータイプ)としては、とても安定したように見える。
作中では大丈夫か?扱いされたりしてるけど。でも頭痛くなったり、精神的に不安定な感じはしない。
ここまでのガンダムを見ていると、どうも女は強化人間にするのに不適合だったんじゃないかって気がする。
クェスを評価するときに、サイコフレーム無しでファンネルが使えるニュータイプだというセリフがあるので、ギュネイがファンネルを使うにはサイコフレーム必須なのかもしれない。
ギュネイはいつもシャアの側付きで、重要なポジションに見えるけど尊敬されるどころかちょっと小馬鹿にされてるようで、強化人間のくせに、みたいな扱いを受けてる。
向上心も野心もあっていいんだけど、人をモビルスーツで握る作戦は駄目でしょ。
いろんなドラマも持ってたけど最期は断末魔もなくあっさり退場で脇役の二番手にすらなれてない感じが悲しい。
クェスは育った環境と反抗期真っただ中っていうことを考慮してもなおキチガイ。
悪い方向に異常な行動力でシャアの側に潜り込むも、そのまますぐ実戦投入されちゃうという点ではとんでもなく酷いことをされてる気もする。
アクシズ落としという命運懸けた作戦に、降ってわいたような女児を参戦させるというのだからネオジオンも軍としてどうかしてる。
ルナツーでわざわざ父親殺しをさせたのはなぜだったんだろうか。悲劇というより悪趣味。
最期は、女が乗って死ぬ舞台装置こと巨大モビルアーマーで出撃。
α・アジールは元々誰が使うつもりで作った物なんだろうか。
あれはカラーリング次第でもう少しはかっこよく見えるんじゃないかと思うんだけど、全身ベージュってどうよ。
クェスがシャアに対してララァのことを持ち出して、それを聞いた兵たちの反応、慌てて退室するシャア、そのあとそれを吹き込んだギュネイのところに直接文句を言いに行くシャアという一連のシーンは可笑しい。
ハサウェイは序盤中盤くらいでは別に悪い子でもないんだけどな。
クェスのどこがそんなによかったのかわからないけど、一連の行動は全部恋しちゃったからで説明はつくよね。
こういった、子供が勝手なことをして迷惑をかける展開ってアニメとかで繰り返し描かれるけど、好んで見てる人っていないんじゃないかと思うんですよ。
それが最終的にいい結果につながるなら擁護のしようもあるけど、ハサウェイは味方殺しだからどうしようもない。
チェーンが死んで、Tが戦場に放出されたことが結果的によかったってんならそうなんだろうけどね。
ハサウェイ関連は、初めて見たときも嫌な展開だと思った。
やっぱり無抵抗の相手を撃ってるからだと思う。
トランスフォーマーの映画でキューやラチェットが殺される場面と同じで。
昔見た特番で、コンピューターグラフィックスで描いてるシーンがあって、回転するスペースコロニーは手描きではゆっくり動かすのが難しいけどCGならできた、って言ってたのだけ覚えてる。
最後落下しそうになってるアクシズは、重力に逆らって下から持ち上げるのじゃなくて後ろから押して再加速させて重力を振り切らせる方が正しいって考察を見たことがある。
実際そうかも。元々切り離された後部が減速して地球の重力につかまったわけだから。
ガンダムの科学考証もわりとスペースコロニー考えた時点で終了してるようなところあるからユルだよね。
で、やっぱり納得いかないのがギラドーガまでアクシズを支えに行ってるところ。
地球が駄目になるかってときなんだ、みたいなことを言ってたけど、まさに地球を駄目にしようとして命懸けてたわけでしょ。
あれもサイコフレームの作用なんだろうって思うしかないよな。
よくネタにされるサザビーの脱出ポッドだけど、演出上の嘘だからしょうがないね。
回想シーンに出てくるエルメスも小さすぎるし、割と適当なのかな。
シャアが最後にララァが母になってくれるかもしれなかったとか言い出すから、アムロの作中最後のセリフがそれを受けて、「お母さん、ララァが? うわぁ」なんていうものになっちゃった。アムロの最後のセリフとしてどうなの。
アクシズが地球から離れていくとき、一筋の光がはっきり描かれてる。
あれがガンダムだったら良かったけど生きてないんだよね。アムロもシャアも。
公開当時の反応はどんなものだったんだろう。
なぜアクシズ落下を防ぎました。アムロも帰ってきましためでたしめでたしでは駄目だったのか。
逆によくこのラストで公開することを許してもらえたよね。
当時はまだサンライズがバンダイのものになってなかったからかもね。
今だったらバンダイが許さんでしょ。アムロの戦いが終わる日は来なかったでしょ。
そういう意味ではアムロの最期を描けて良かったのかもね。
ほぼ余談になるけど、ニュータイプって近年の福井晴敏展開で急激に超常的な感じになってきてるみたいで、もちろんガンダムって最初からオカルト系描写と切り離せないところがあったけど、それをそういうものこそニュータイプの特性だって設定し始めたちゃったようなのね。
ソースはWikipediaだけど、ガンダムの世界では魂が集まる高次元の世界があって、人間の魂は死ぬとその高次元に行って、「全体」という魂の集合体に合流するとかいう。
そして、ニュータイプはその魂の世界にアクセスできる能力者ということになって、サイコフレームは全体とつながることのできる媒体だとされてる。
歴代宇宙世紀作品を見れば、確かにみんな死者のパワーをもらってるような描写はある。
カミーユがジ・Oの動きをとめたラストアタックとかまさにそんな感じだったし(あれをスーパーゴーストカミカゼアタックと呼びたい)、ウッソの戦いの最後の場面でもウッソを支援するように死んだ仲間たちと生きてるはずの父親が現れてくる描写もあった。
そんなわけでね、ここにきていよいよニュータイプの明確な定義をしちゃったみたいなんだけど、でもこれって何かに似てるって思いませんでした?
そう、オールスパークですよね。
オールスパークとはビーストウォーズリターンズにて初出の概念で、トランスフォーマーの命と魂のエッセンスというべきスパークが集まった総体です。
ビーストウォーズにおいて、トランスフォーマーたちが死後にスパークが辿り着くと信じているのがマトリクスディメンジョンです。
マトリクスディメンジョンの真の姿は、エイリアン=ヴォックの本拠地であるヴォックネビュラ=ネクサスゼロです。
新世代トランスフォーマーのマクシマルやプレダコンのスパークは、死後ヴォックネビュラへと帰還し、逆にその誕生の際には、ヴォックの一部がスパークとなります。
ビーストウォーズリターンズでは、スパークはオールスパークから生まれ、オールスパークに還るとされました。
ソースはビーストウォーズユニバース。
おそらくヴォックネビュラとオールスパークは同一です。
つまりガンダムでもトランスフォーマーでも、魂が生まれてくる場所があり、死後はそこに還る。そして生前得た知識や経験が魂の総体にもたらされ、これをより高める。
これはある程度普遍的な死生観に基づくものだと思うので、ガンダムとトランスフォーマーの魂の扱いが似通ってきたからどうのというわけではないですが、十数年を経てガンダムのほうがトランスフォーマーに追いついてきたって印象は受けました。
というわけで、隙あらばトランスフォーマーの話をしてみる。
改めて見て、やっぱり面白かったですよ。逆襲のシャア。