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RPGツクールフェス デカンの風に吹かれて ツクりました 好評につき公開終了

映画感想覚書 劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-

2020年8月1日、ガンダムチャンネル1周年で限定公開されていたので、未見だったので視聴。

映画は2010年の公開。10年前ですね。

 

 

 

テレビシリーズの2年後からスタート。

始まってすぐ見られるのが、劇中劇ソレスタルビーイング

過剰に熱いキャラ演技と、勇者ロボの戦いみたいになってるソレスタルビーイングの戦いが描かれてる。沙慈は出てない。

ソレスタルビーイングは紛争に武力介入という、要はテロ行為によって逆に争いを根絶しようとした組織。

テレビシリーズで行われた大規模な戦いに人々は恐怖し、反動で争いを無くす方向に進んだとみなされてもいるようです。

実はこれ、ガンダムWゼクスやトレーズがやろうとしていたことなんですよね。

他にデスノートの主人公や、貞子が政見放送で語った呪いで日本を元気に、というのも同じような毒を以て毒を制すという考えと言えるでしょうか。

こういう考え方は危険性が高いので物語の展開としては阻止されがちです。上記の例もいずれも道半ばで阻まれ、でも世の中を変える力にはなったといった感じでしょうか。

 

この世界ではソレスタルビーイングは一応の成功を収めて、その活動もある程度許容されヒーローっぽく扱われてもいるみたいです。

 

 

 

フェルトが刹那に対するヒロインみたいな立場になろうとしてるんだけど、刹那のほうがイノベイターになっちゃったからか全く無関心ぽくて、2年間この調子だったのかと思うとフェルトが不憫です。

 

 

 

デカルトシャーマンという、ヴェーダに見出されたというイノベイターは何のためにいたのかよくわからず。

 

 

序盤から中盤にかけてSFスリラーみたいな展開になる。

地球外変異性金属体、略してELSという地球外生命体が登場するというガンダムでは珍しいシナリオ。

ソレスタルビーイングの創設者イオリアの想定していた、来たるべき対話、というのが地球外知的生命体との接触ということでした。

なんでも想定していたイオリアだけど、そのタイミングがかなり早くなってしまうことまでは想定できなかったみたいです。

ELSが地上で脳量子波にひかれて、イノベイター予備軍の人間のもとに現れるのだけど、その時にとる形状が全く意味もなくリボンズの姿で刹那に余計な心労を与える。

 

ELSは自らと同化させるか、脳量子波のどちらかのコミュニケーションしか持たないらしいのだけど、自動車の形状になってひき殺しに来るあれが、コミュニケーションをとろうとしているということなの?

 

 

連邦政府の中枢に、確かカタロンっていうレジスタンスだったやつが入り込んでる。

クーデター政権のように見えなくもないけど、あらゆる人同士のわだかまりが消えてるとも解釈できるか。

 

 

ネーナそっくりのミーナという女が出てくる。どういうことなのって思う。

こいつ何か裏があるんじゃないかと思ってたんだけど、最後まで別になかった。

単にビリーにも春が来たということか。

 

ELSは脳量子波を目指してやって来るみたいで、もしその事実をマスコミとかがリークしたら、たちまちイノベイター狩りみたいなのが起きるのがガンダム世界って気がするじゃないですか。だから心配したんだけど、この世界ではヴェーダによる情報の統制が行き届いているのか、そんな展開にはならなかった。

 

 

ELSの一部は最初の木星船とともに既に地上に到達してしまったわけで、そのELSが地球自体を侵食してしまったらそれで終わりだったんじゃないかと思うんだけど、そこまではできないものなのかな。

 

 

地球連邦政府はELSの対応に迫られるのだけど、月みたいな大きさのものが地球に近づいてくるとしたらお手上げですよ。

それでも最後まで放棄せずに対応しようとするところは、非常に有能で使命感のある人たちだということなのでしょう。

 

 

ELSは宇宙空間をどうやって移動しているのか不明。

宇宙空間を移動するのに一番単純な方法はなにかを噴射することだけどそんな様子はない。

ELSの大群は小魚の群れみたいで、いかにも劇場版な物量。

 

 

 

刹那がふせってるシーンで、窓の向こうでフェルトとグラハムが会話してるシーン、ガラス越しみたいなくぐもった音声で聞き取りにくかったのでYouTubeの自動生成字幕を使ってみたらクオリティが低すぎて「淫魔によっ 少年を立てることもできない」とかなっちゃって意味わからず。

少年を助けることもできない、だろう。淫魔は言ってないよね。

 

 

 

終戦は圧倒的なELSの量で絶望的。

触ったら同化されて死ぬという質の悪い敵だし。

折角テレビシリーズを生き抜いたのに劇場版で死ぬ人物もいる。

人類側は恒久和平の影響で軍縮されて戦力がかなり減ってるらしい。

その割にはガデラーザとかいう超兵器を次期主力兵器として採用しようとしてたけど。

 

 

刹那の新乗機ダブルオークアンタの性能や装備は、最終戦に遅れてくるためあまり描写がない。

1期の初めころツンケンし合ってた刹那とティエリアを見て、その後最終的にティエリアが刹那の相棒の妖精みたいになると誰が想像できただろうか。

 

 

 

ダブルオークアンタはELSの出現以前から、対話による平和創出を目的に設計されていたらしい。

ELSとの対話の後、彼らの母星へ行こうと言うので、どういうこと? って思ったら、なんかワープして本当に行ったらしい。

ダブルオークアンタだけ存在が異次元だろ。

技術者は太陽炉をもっといっぱい繋げたらどうなるのかやってみたかったんじゃないの?

対話の後みんなが目線を向けるから、ELSが花になったんだろうなってのは予想できました。

 

 

ラストでは、ついに人類による外宇宙探査が始まろうとしている。

もし知的生命が誕生して、技術を高めていけばいずれ宇宙を目指すのは当然。

地球以外にも外宇宙の探索を行うものがあれば、それらが地球を発見し訪れることもあるだろう。

そこで議論されるのが、地球外生命は何を目的に地球にやって来るのだろうかということ。

よく言われるのが、技術的に圧倒的に進んだ別文明が地球に来て、それがもし侵略や略奪目的だったら人類は滅亡するから、他文明からは隠れるべきということ。

そういうこともあるかもしれないけど、この映画でも描かれるように宇宙を長期間長距離航行するというのは、技術だけではなく社会が平和で人々の争いが無くなった状態でなくては不可能なんです。

閉鎖された宇宙船の中でグループを作って対立しているようでは、最終的には乗員の死を招いて宇宙船全体を危険にさらして失敗に終わるでしょう。

ただ宇宙船を建造する技術だけではなく、現在の人類よりはるかに文化的精神的に成熟した状態でなくては成立しないのが外宇宙への旅です。

そう考えると、地球まで来ることができる異星人というのはその時点で平和的な種族だと言えないでしょうか。

なぜ異星人を畏れるのかといえば、おそらく多くいる白人の研究家などが未知の世界へ乗り出す=侵略、植民化、現地人を奴隷化などと考えているからじゃないでしょうか。

なぜなら、白人こそが歴史上そのような他文明を破壊、略奪してきたからです。

この地球上で最も野蛮で暴力的な生き物である白人が、自分たちがそうであるからほかの星の文明もきっと野蛮で破壊と侵略しか考えないに違いないと思い込んでるのでしょう。

でも前述したとおり、長期間の宇宙の旅は現在の人類よりもはるかに調和的でなくては不可能です。そのような種族が見境なく侵略しに来るとは思えません。

 

だから、もし地球外知的生命が存在した場合、コミュニケーションは積極的にとっていいと思います。

あるいは超長距離航行をする場合、もっと合理的に長距離の移動に耐えるため、体を機械に置き換えた生命体とか単にロボットだけが宇宙船に乗っていることもあるかもしれません。

そういった連中が地球を見つけてどう振る舞うかは見当つきませんが。

 

 

 

 

 

大体ガンダムシリーズは宇宙コロニーと地球の対立とか、人間同士の戦争がテーマです。

今作では異星人とのファーストコンタクトを描くものになっています。

かつてガンダムはSFじゃないなんて言われたりもしたようですが、21世紀のガンダムでSFの古典的題材のファーストコンタクトものに挑戦するのも面白いですね。

こんな感じで多くのガンダムのテーマとは異なるために、公開時にはガンダムでこの内容をやる意味があるのかという人もいたようです。

Gガンダムのときもありました。ガンダムでやる必要がないという意見。

個人的意見としては、やる必要はあると断言します。

ガンダムのファン層が高齢化しているのは周知の事実。

新規層の取り込みというのは簡単ではないです。

それでかバンダイも目先のビジネスのために閃光のハサウェイとか担ぎ出したり、売れるからと盛り込み過ぎてどうにかなっちゃってる1年戦争とか、安易に金になりそうなことばかりやってますが。

ファンが高齢化の後、順次死に絶えていくのに合わせてガンダムというジャンルの展開も終了するつもりなら、新しいことをやる必要はなにも無いでしょう。

1年戦争宇宙世紀の再生産を繰り返し続ければいい。

でも、そうでないなら新規層の開拓と新機軸の打ち出しは、やり続けていく必要があります。

ガンダムシリーズで、それまでにない新しいことをやる必要は、あるんです。

当たり前のことです。

 

 

 

 

最後は長い時間を越えて、刹那がマリナのもとに戻ってくるというのが印象的でした。

やっぱりマリナは刹那にとって、生き方の方向性を与えた大事な存在だったんですかね。

マリナの家に向かうまでの道すがら、遠目にキラキラ光ってるのがちょっと面白いですが。

長いストーリーのラストに相応しいと思いました。

 

 

なんかラストで形状の変化していたクアンタの背中から出ている長いものは触手らしいです。