今年2019年に30周年の映画の話を書きます。
「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」です。
自分にとっては最高の映画のひとつです。
アクションのスケールの大きさやコミカルな場面との緩急、印象的なペトラなど、エンタテインメント作品としてパーフェクトだといっても過言ではないでしょう。
そんな最後の聖戦に、昔から納得できない場面があるというんですよ。
映画をまだ見てない人はもう読まなくていいです。
終盤インディがついに聖杯を手に入れるための試練に挑みます。
その第一の試練を突破するヒントは、悔い改めた者だけが通れる、です。
この試練に失敗したなら首を切断されて死んでしまいます。
悔い改めた者とは、慎ましく神の前にひざまずくのです。
インディはすかさずひざまずいた姿勢をとります。
直後に頭上を鋭利なカッターが通過します。
そしてインディは間髪入れず前転し、←これ
下からくるカッターも回避します。←これも
なんで下からもくるんだよ。
ヒントは悔い改めた者だけが通れるでしょ、だから身を低くしてセーフ。これはわかる。
でもそのあと下からくるやつはノーヒントだよ。
なぜかわせた?
これが子供のころから納得いってないんだよなあ。
なんで下からくるんだよって絶対思っちゃう。
セリフで、「悔い改めた者は神の前にひざまずく。そしてそのあと大地に身を投げ出す」とか言ってるんだったらまあ納得したかも。
原語版でも多分なにも言及してないと思う。
インディが超反応で回避したとすると、一個目のカッターもノーヒントで回避できた可能性が出てきて、ヘンリーのヒントのありがたみが無くなっちゃうでしょ。
あるいは、キリスト教においてひざまずくとは、そもそもあの動きを指すのだとしたら。
一回体を落としてすぐさま前転する。この一連の動きをひざまずくと呼ぶとしたら。
無理あるよね。
教会でみんなあんな動きしてるわけないし。
頭の上をカッターが通過しているのだから、先へ進むには屈んだまま通らなくてはいけない。だったら前転したほうが速いか。
いや速くないだろ。
しかも前方が確認できない状況で前転は危険。
丁度一回転したところに下からカッターが襲ってくるかもしれないし。
もしかしたらアメリカでは、上をカッターが通過したら次は下からっていうほうのお約束がある可能性も考えられる。
これは要検証かも。
ほかの頭上をカッターが通過する系の映画とかをいくつか見てみる必要はあるでしょう。
ただ、このジャンルはまだ分類が始まってないよね。
とりあえず合理的な説明は思いついてません。
ひざまずくことで首を狙ってくるカッターをかわしたのに、そのあと地面からもくるのは反則だよね。
用意されたツッコミどころかな。
というわけでインディージョーンズ最後の聖戦は、納得いってない部分があるのでマイナス1点して109点(100点満点中)です。